覚者慈音251

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO199
大霊界入門記   前編                 
第三   ジョウ完成門  (仮称) 又は組織門 成就門   (仮称)                                               その6
                      教主寛大講述


 大霊界を知るには先づ汝等が霊を求めよ。霊は汝にあることは屡々語り居るが如し。故に魂より霊を求めなば即ち無言詞界なり。然して霊より更に大霊に進まば、再生門に入ることの理は明らかに認知することを得ん。この書を読むものこの拙き文章に囚はるること勿れ。拙き文章の中に含まれある何ものか潜在せるを引きだして、其を我ものとなさば其にてよし。我等は文学者にあらず。されどその悉くのもつ種子は皆我等の掌中にあるなり。我等は名文家たらんとせば是を著述するに聊かも労苦する要もあらざるなり。文学のみにあらず、理学哲学皆すべては我等の掌中にあるなり。何となれば我等は全宇宙をくまなく知るによって、斯る微々たる事柄を論ずる暇はあらざるなり。我等は大言壮語するものにあらず。全宇宙の原理を知るによって、汝等諸子の如き罌粟粒をもあます処なく救はんとして斯るまぎらはしきことを語り居るにすぎざるなり。されば汝等衆人は智慧をはたらかせてその智慧のまなこによって此書を読むべし。肉眼によって彼是批判することなかれ。斯る書物を読み居りては、頭にピンと来ぬとか称し居りて此書を読み居らば、何等得るところはなからん。此書の拙き文章の中には思ひもよらぬ無言詞がひそみ居りて、汝等諸子が通読なし居る間にも、汝等諸子の霊及び魂に通じ居るはたらきが、汝等諸子をして如何なるところに導くかを、後に至って感謝する日は近きにあらん。疑はず、侮らず、此の書を熟読玩味せよ。
 大凡大霊界に来るもの純潔無垢にして然も充分に結実たるものにあらざれば許されず。故にこの界のものにして誰一人汚れたるものはあらざるなり。この界に来る迄の汚れたるものは、はじめ選魂所に於て整理され捨つるものは魂屑として捨てられ、半熟のものは又其々の処に移植されて新なる任務に服し、然して其中にて最も優れたるもののみを択びて、大霊界に移されたる人類なるによって、その技能才知等優秀なることは最早語らずとも諸子は知るならん。否想像することを得るならん。此界に入らば最早周囲のすべてが浄化せられ居るによって、微塵も汚れたるものあらざれば、如何に年月を経るとも身心に汚物の附着する如き事はあらざるなり。故に清浄無垢なるものなるによって益々光彩を放つ。此界に於てジョウの門を卒業したるものは今後如何なる汚れたる世界に入るも、身心に汚れの染まざるは最早完成なしたるによってなり。身に汚れの附着する間は未だ行の全からざるが故なりと思ひて、汝等諸子は身心に汚きものを附着せしめず、速かに洗ひ落として清潔になしてジョウの行に専心努力して、その後ならば如何なる汚れたる世界に足を入るるとも、決して悪に染まるものにあらず。仏教者の云ふ蓮の如き清らかなるものとなりて、泥に染まらざる程度迄修養修業を重ね居らば、泥中におかるるとも其等に犯さるることはあらざるならん。是等は仏教者の蓮に喩へての教へなるべし。

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