覚者慈音244

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO193
大霊界入門記   前編                 
第三   キュ、修養門 (仮称)                                   その5
                      教主寛大講述


 キュの門に於て学したる千七百二十八 (但し大霊界にては数と云ふものあらざれども諸子を導く方法として仮に数字を以て現はし居るなりと諒知せよ) の教へによって是を基として、すべての事柄を学び終りて我物となしたる時、その働きの力が自然に現はれて、赫々たる光明の輝きは全宇宙を照してあます所なきに至る。されど未だ行中にあるが故に、是を以て任務に服することを未だ許されざるなり。唯育ちに育ちて己が力を益々強くなさんがために、更に進んでジョウの門に移さるる迄間断なく勉学にいそしみ居ることと承知せよ。次の門に移さるる迄の間には、千七百二十八更に四千九十六の全部がそなはるによって、すべてはあます所あらざるなり。千七百二十八とは十二の三乗にして四千九十六とは六十四の二乗なり。是等の詳細はジョウの門の講義終了てその後に語ることとせん。兎に角キュとは斯くの如き広き意味を有す。
 こだま会の会員は円海が易学を語り居るによって、此書を読むもの認識することは速やかならん。わずかチッ、シュ、キュ の三文字六音によって斯くも広き範囲にわたっての力の意味は含まれあることを知らば、厳戒の辞の如何に勝れたる言葉なるかは知ることを得ん。実に有難きことならずや。語らずしてすべてを知らしむること、厳戒の辞に勝るものなしと云ふも過言にあらざるなり。されば是を称ふるものその心して称ふるにあらざれば無言詞とはならざるなり。唯文字を発音するのみにては何等の価値もなし。されどその言葉の意味の有難きことを心に貯へて称へなば、全宇宙に漲りてその思ひが貫徹し、然して希望は充たさるること云ふ迄もなし。キュとはすべてを究め尽すの意味なれば、修養門と仮称したるなり。理論の上に於ても又実行の上に於ても共に共に、その蘊奥を究無留事を得てここにはじめて、その徳の現はるること実に広大無辺なりと知るべし。
 

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