覚者慈音243

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO192
大霊界入門記   前編                 
第三   キュ、修養門 (仮称)                                   その4
                      教主寛大講述


 汝等諸子は是等をすべて天災なりとして何等手を下さず、或一部の事にのみ囚れ居るは愚も亦甚だし。是等は決して神の悪戯にあらず。又神は斯ることをなして世を亡ぼさんとなす如き事はなし給はざるなり。神は斯くすれば斯くなる結果をよく知りて造り給ひあるが故に、神の考へと汝等諸子の考へとには、相対の姿よりその開きが余りに広き故誤差を生ずることは是非もなし。されど神は斯ることのあるをよく知りて造り給ひしには皆其々の智慧によって、世を改造せんとの深き考慮より造られしなれば、その意志をよくくみ取りて専心その方向に心を致し居らば、次第に人智が進化して軈ては三満一欠の難はまぬがれ、四満の世界が立派に建設せらるる日もあらん。故に学びに学び磨きに磨きて研究すれば、何時かは斯る立派なる国土となることは火を賭るよりも明白にして、疑ふ余地はあらざるなり。九流界と雖も古来は汝等の世界と同様なりしなり。然るに現在は安らかに生活なし居る点より、是等によって教へを受け学ぶならば、軈ては地球の亡びざる間に建設なすことも遠きにはあらざるならんと我等は思ふなり。兎に角満れば欠くるの世界は危ふし。満ちても欠けざる世界を作らざるべからず。全宇宙はすべてを包含してあますところなく伸び拡がり居れど,欠くると云ふことはあらざるなり。此理をよくよく考慮に入れて研究せよ。汝等の家は風吹かば倒れ水には流され火には焼かれ、地震には砕かるる等の憂ひあるに不拘、未だ完全無欠の家さへ建設せられざるは、何と云ふ愚なることぞと深く考慮せよ。慈音も知る如く九流界は斯る愁ひはあらざるなり。路傍に遊ぶ小児が車馬にはねられて生命を奪はるる如き、愁ひも九流界にはあらざるなり。汝等諸子の世界は分秒も安らかならず。何時如何なる災禍が身にふりかかり来るやも知れざる危き日々の生活状態は、我等に云はしむれば風前の燈火の如し。聊か余事にわたりたり。本論に返へすべし。


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