覚者慈音242


未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO191
大霊界入門記   前編                 
第三   キュ、修養門 (仮称)                                   その3
                      教主寛大講述


 汝等諸子は土人を嘲り嗤ひ居れどももとをただせば土人にも劣りし野蛮時代がありしことより考へ見よ。今は文化人なりとして僅少なる智識を得たりとて誇り居りては、最早行きづまりの時節到来することは火を賭るよりも明白ならん。自慢は智慧の行き止りなりと云ふ比喩の如く誇りに長じ居りては、退歩の方向に向ひ居ることと考へて逆行せざる用心肝要なるべし。智慧そなはり来らばその智慧より智慧と益々その度をたかめて、限りなき方向に進まんことを我等は祈るものなり。キュの門に移されたる仏たちは背後を顧ず、前途の広大なるに驚きてはてしなき光明の世界を追ひ求めて進み居るが故に、背後を顧る暇さへなきなり。斯る楽き世界より楽き世界へと楽を追ひ求めつつ進むが故に、益々智識そなはり行力は加はりて自由自在の姿となり、なさんとせばなし難きこと無く、思ふが儘に着々事は運ばれ行きてあます処なく、全宇宙は益々増大してその中に包含せるすべてのものは皆それぞれの徳を現はしつつ、全宇宙は益々繁栄なし行きつつある事は我等共に喜びに堪えざるなり。
 キュの門に於て養育せられつつすべての事柄を事実に於て教へられつつ学ぶものは、事実に於て習得することを得るが故に、汝等諸子の世界の如く空実一体の学徳を授かり居るによって、学すべきことは二にあらずして皆一の教へによって導かれつつあるなり。汝等諸子の世界の如く二兎を追ふものは一兎得ずの比喩とは全く、その趣を異にす。汝等諸子は二道を歩み居るが故に、ややもすれば足をすべらして転倒こと多し。されどこの界は二道を一体化せる道を歩み居るが故に、転倒することなく進み居るなり。三満一欠の汝等の世界は両輪の車ならでは転倒すれど、キュの門などはかかる心配はあらざるなり。是四満の世界なるが故なり。例へば汝等の世界は列車が進行し来る時線路に足を踏み入るれば、忽ちひき倒されて人命を損傷する如き愁ひあれど、大霊界などはかかる危険はあらざるなり。汝等諸子はこの理を知るや。汝等諸子の世界と雖も全宇宙の中に包含せられある一部の世界なれば、全宇宙の原理を習得して是によって方を用いなば、是等の事柄はなしてならずと云ふことなし。其は学理を未だ知らざるがゆえなり。学理を知りて其によって法を用いなば縦横無尽に車馬の横行をなすとも他を傷け自らも傷く如き事はあらざるなり。我、斯く語らば学者は云ふならん。地球は引力によって斯る事はなり難しと。是を我等に云はしむれば引力あるによってなさるるなり。引力あらば圧力もあるなり。引力圧力を巧みに応用せばならずと云ふことあらざるなり。全宇宙の自然のながれが汝等諸子の地球にも及び居る以上、我等の説は決して机上の空論にあらず。智慧すぐれ学徳兼備すれば、必ず成立することは我等公言して憚らざるなり。故に智慧の行きづまりにならざるよう広く高く学徳を習すべし。九流界の人類は未だ肉体を有し居るに不拘、是等をなし遂げ居ることは慈音も見学して認知なし居るなり。九流界の人類にして四満の世界を作り得るとせば、汝等諸子の世界と雖も全宇宙の原理を認識把握して是を応用すれば、三満一欠の世界は忽ち変化して四満の世界に変ぜらるることは至難の事にあらず。今や汝等の世界に於て飛行機が墜落し、列車が転覆し電車は火をふきて、多くの人命を損傷してある如きことを、我等は見るに忍びざるなり。震災などの被害水害等々算ふれば際限なき程多くの憂うべき事柄が、枚挙に暇なき程現出なし居る点より、斯る被害を速かに取り除きてせめては安楽に生活なし得る世界を造りては如何。


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