覚者慈音240

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                         NO189
大霊界入門記   前編                 

第三   キュ、修養門 (仮称)                                   その1
                      教主寛大講述


 チ、シュの門に於て基礎的の教へをうけたるもの、是を汝等が世界にて云ふならば幼稚園小学校を卒業したる小児と見なさば、キュの門は中学大学の程度なりと思はば可なり。小学校に於てまなびたる基礎的学問は唯其以上の学問をなすにあたって、必要なるものの組織として与へられたるにすぎず。成長門に於ては唯学び居らば其れにて宜しかりしが、修養門に移さるればまなびたる事柄を実施に応用なし、且つ其によって己が智能をはたらかせて種々様々の事柄を実施に於て、或は学理によって是を我ものになさざるべからず。成長門の間は云はば遊び半分にて学び居たれど、修養門に入らば最早遊ぶことは許されざるなり。又遊び居りては学徳は備はらざることは云ふ迄もなし。ここに於ても亦十二の備はりあるなり。即ち是を動気と仮称しをく。さればチ、シュの門に学びたる百四十四の事柄は平面的なりしが、この門の十二気は動なるが故に、百四十四乗(かけ)る十二即ち千七百二十八の立体的となる。是を修得せば即ち千七百二十八の体積は得られて是にて全くすべてを完備することを得るなり。是は円海が語りたる易学の数四千九十六に等し。詳細は後に述ぶべし。
 もとより大霊界には数の必要なければ、汝等諸子の世界の如く数によって計算するにあらず。是等の事柄は如何に語るとも諸子には理解し難からん。よって我等は数を語りて其によって認識せしめんとなし居る迄なり。よってその心して聞くべし。但し諸子の世界の数学と九流界以上の数学とは是又等しからず。是等の事柄は円海ミキョウによって学ばば可ならん。其は別として大霊界に於ては大自然の教育をそのまま取り入れて修得するが故に、学問を応用する必要もなくすべての法力は、大自然の法則より受け入れ居るため謂はば汝等諸子に架せられたる身心の具備あるが如く、法力も亦従って是等の道理によって自然に育たり行くなり。此所に到らば既に彼是理論の必要もなく又彼是と思ひ惑ふ如き心配もあらざるなり。唯育てられるままに育ち、教へらるるがままに取り入れて己自らとやせんかくやせんと思ひ惑ふの悩みもあらざるなり。故に是等を絶対自然と名づくるも可ならん。汝等諸子は理を究めんとして彼是と種々様々の方面より取り入れて、研究なさざればものの理を究むること難けれど、此界に来らば最早この如き必要もあらざるなり。己自ら考へずとも自然に教へられて会得し、其を実行に移せば其にて破壊も組織も自由自在になすことを得るなり。唯己の任務に順じ居らば其にてよし。かく語らば平凡なる世界なりと思ふならん。されど事実は然らず。汝等諸子は物事を学びてその極を究むれば、是を誇大に吹聴して己の学徳を誇らんとする傾向あれど、其等は自尊心のあらはれにすぎず。

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