覚者慈音234

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO183
大霊界入門記   前編                 


第一 チッ、 再生門 (仮称)         その3
                      教主寛大講述

 


 兎に角自然の姿を見、自然の姿を聞きて其を我がものとなして、其が応用によって如何なることをもなし得らるると解釈するもよし。されば大自然とは何ぞと云ふことに思ひ至らん。限りなき大自然の力が全宇宙に漲り居るならば、その大自然の根本を追究して何ものかを求むれば、大自然の力が何ものかによって造られ居ること迄、研究の度を計らずば真の大自然を知ること難からん。大自然は無始終なるが故にはじめなく終りもなし。この懐中に抱かれてはじめて永久不滅の恩恵に浴することを得るなり。大自然の造主こそ我等は神として尊敬なし居るなり。我等の如く姿なき姿を有するものをも育てられ居るは、神ならでは他に斯る恩恵あらんや。神を知らんとせば大自然の懐中に抱かれてはじめて、真の神を知り又神の恩恵に浴することを得るなり。神の世界より生れて神の世界に帰れよと云ふことは、帰するところ大自然より生れて、大自然に帰れよと云ふことなりと解釈するも差支なからん。我等は自由自在の力を与へられ居れど、もし全宇宙に神の存在なくんば、我等は忽ち亡ぼされて影をだに止むることあたはざるなり。この事より考ふれば神は尊し。然して常に語り居る如く我等は神にはあらざるなり。一度神の手我等に下らば、我等は忽ち亡ぼさるるが故に、我等は神にあらずと語り居るなり。全宇宙の大意を究むれば究むる程深淵にして、到底些かの智慧を働かすとも甲斐なきことの理は先づ斯くの如し。全宇宙が広大無辺なりと語りしもこの理なり。広さ深さの程度によって広大と語り居るにあらず。全宇宙を数によって測定せば或は測り得るやも知れざれど、我等の云ふ深淵とは距離数時間空間によっての意味にあらず。如何に計り尽さんとなすとも計り得難きが故に、自然の力を名づけて広大無辺と語り居るにすぎず。限度なきが故に広大無辺なり。                     


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