第二十五回 「正観さんの最後の著書 淡々と生きる」より 「手塚治虫とお母さんその1」 小林正観 著作

正観の話、・・・・・
 母親論でいえば、母親が子供を褒めると、子供ぐんぐん成長します。その褒め方にはちゃんとした方法があります。一番大事なことは、順位を褒めるのではなく、ありのままの子供を褒めることです。あなたのやさしいところが大好きなのよ、というように。
 手塚治虫という人がいました。漫画の天才です。六十二歳で亡くなりました。大阪教育大学付属池田小学校というエリートの通う学校の生徒だったのですが、そこの先生もすごく優秀で、エリートだらけです。生徒もエリート、先生もエリート。
 ある時、授業中に、治ちゃんがノ-トに漫画を描いていた。すると先生は見咎めた。「授業中に漫画を描いているとはなにごとだ」と。当時は漫画は市民権をえていませんから、怒られた。そしてお母さんが呼び出しを受けた。「治くんは、授業中に漫画を描いていたのです。何度も注意したのですが、本当にどうしょうもない子なので、ちゃんと注意してください」と言われて帰って来た。そして「治ちゃん、今日学校から呼び出されて、先生に言われたんだけど、授業中に漫画を描いてたんですって?」「うん、描いていたよ」「どんな漫画を描いてたのか、ちょっと見せてちょうだい」と、このあたりが世間一般の親子関係とは違うところです。「いいよ」と持ってきた漫画を母親は何も言わずに、一ペ-ジ目から読み始めます。そして終わりまで読んで、パタッと閉じた。そこで、「治ちゃん、この漫画はとてもおもしろい。お母さんはあなたの漫画の、世界で第一号のフアンになりました。これからお母さんの為に、面白い漫画を沢山描いてください」と言った。天才手塚治虫が誕生した瞬間です。
 学校から呼び出されて、子供が授業中に漫画を描いていたと先生に叱られたら、普通の親なら「何やってんのよ、あんたは」と怒ります。しかし、手塚治虫のお母さんは違った。授業中に漫画を描いたことで、誰かを傷つけ、誰かに迷惑をかけたのか。誰にも迷惑をかけていない。漫画を描いているぐらいいいではないか。先生は面子とプライドを傷つけられたかもしれないにしろ、手塚治虫の母親は、注意すべき必要を感じなかった。そして、描いた漫画を褒めてやることで、子供の才能を引き出したのです。
 子供が伸びたい方向に伸びようとするのを、何故、社会の常識や親の思いで潰すのか。その芽をなぜ摘み取るのか。世間はそこに、そろそろ気が付いたほうがいいようです。
 手塚治虫は二十六歳の時、母親に相談をした。「今、僕は、月刊誌の連載を六本抱えている。さらに、一日おきに病院で当直がある。医学の方も忙しい。ここまで忙しいと、医学を取るか、漫画家の道を取るか、どちらか選ぶしかなくなってきた。時間的に忙しくて、両方はできない。お母さんは、僕がどっちをやった方がいいと思う?」
 結果として、手塚治虫は漫画家の道を歩んでいるので、母親は、「漫画家のほうがいいんじゃないの」と言ったと思うかもしれません。答えは違いました。母親はこう言った。「あなたはどちらを選びたいの?」と。「医者の方がいいんじゃないの」とか、「漫画家のほうがいいんじゃないの」とは言わなかった。手塚治虫は、「僕は漫画家のほうをやりたい。医者は世の中に沢山いるけど、漫画家はそんなにいない。だから、これから漫画を描いて生活をしていきたい」と答えた。すると母親が、「あなたが漫画家を選ぶのだったら、私はずーっと応援します。あなたがどちらを選ぼうとも、私はずーっとあなたの味方です」と言ってやるのが、正しい親の愛情です。・・・・続く

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