父祖の足跡12  繊維雑貨組合の史誌ができた

「父祖の足跡」 編集後記  


 市中に数ある任意組合の中で、当組合の団結力、組織力、或は実践力は群を抜いて、他の組合の追随を許さないまでに盤石なものとなっている。その組合が設立されて、はや四十年の歳月が瞬く間に流れた。その間、大小曲直の景気の波に翻弄されつつも、着実に一歩々々地を固め、緩やかながらも傾斜線を登りつめて来た。
 当初の創設者達、その大部の方も、現在は二代目或は三代目と代替わりして、その数を急激に減らしてきている。そのため私をも含め、組合の沿革や、設立の経緯、又今日迄の道程(みちのり)などを詳らかに識る者も、今は本当に数少なくなってきているのが実情である。人にそれぞれの歴史がある如く、組合にも喜怒哀楽を織り交ぜた生きた歴史がある。今日迄の組合の歩みを何らかの形で書き留めておかなければ、過去の軌跡を知る人もやがては絶えて、何日しか雲散霧消してしまうにちがいない。現に組合の草創期に力を尽くされ、いまは既に物故されておられる方も何人か居られる。彼等の艱難辛苦がありたればこそ、今私達の組合は安楽の安きにある。なにはともあれ、その方々の御仏前にこの小誌を献じ、これまでの功績の労とその栄誉を讃えたいと思う。尚且つ、私達がいま先人の偉業を、そのままに継承し得ることの有難さ、それに対する報謝の念をも併せて捧げたいと思う。そして今は未だ御健在であられる諸先輩方の年齢も、既に齢八十を越えてしまっている。その先達の労苦に報いんが為にも、組合の足跡をなんとしても纏め、早急に編纂しなければとの考えが最近胸底をよぎる事が多くなってきた。
「機はすでに熟した、今こそがその好機であり、この時を逸してはいけない」の焦燥の思いにかられ、私達総務委員は今秋、本誌づくりに取り組んだ。だが実際資料を紐解いてみると、昭和四十年、五十年度初期の事象が著しく欠落、若しくは散逸し、その余りに少なきことに躊躇(とまど)ったのも事実である。一時は余儀なき断念すらも考えた。然し、なんとか昔を知る人の記憶の糸を辿り、漸くその間隙を埋めることが出来た。よって記憶のあやふなところの日時、事象などは全く正鵠を得たものでないことを、前もって諒知して頂きたいと思う。読者諸兄におかれては、この小誌の行間、あるいは紙背から、先達の無声の声、生きた息吹、そして往時、彼等が組合活動に奔走した情念の一片をも看取聴聞して頂くことあるならば、それは私達部員の望外の喜びとするところである。
 総じてこの誌史は斯道の専門家よりみれば、完全なものとはいえない。けれどもやがて迎えるであろう五十周年事業の一里塚として、あるいは後輩者の為の基礎的資料ともなれば幸甚の至りである。当方の編集も短期間に一気呵成に行った。よって文章の拙劣など種々の不備、不手際がある事は誠に申し訳なく、この場を借りてお詫びしたいと思ふ。ともかく曲がりなりにも出来上がった。今はそれを素直に喜悦たい心境にある。

×

非ログインユーザーとして返信する