覚者慈音214

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO165
 絶対とは如何なるものか          その8                                                    教主寛大 講述


 汝等の世界の人類は肉体と云ふ不完全なる備はりあるによって、意の如くならざるが故従って不便を感ず。手を用いずばものをとる事を得ず。食するにも口を用い、歩むにも足の必要あり、みな悉く分によって定まる。故に不便なり。六流界以上の人間とならば斯る
不便は感ぜざるなり。何となれば肉体悉くが頭ともなり、手ともなり、足ともなりて使用することを得るによって、真の自由は得らるるなり。我、斯く語るとも汝等諸子は己が肉体より想像するによって、如何に考ふるとも解すること難かるべし。されど事実は斯くの如きそなはりを有し居る姿なり。手にせんとせば全身は手となり足にせんとせば全身は足となり、頭とせんとせば全身は頭となる。其は自由自在なり。汝等諸子の肉体より考察せば一種の怪物の如く思ふならん。されど彼等は真の人体にして怪物にも獣類にもあらざるなり。又彼等は空かけりながら、種々様々の行為を意の如くなして駈け廻る如き具備を有するによって、何処にありとも決して不自由を感ずるものにあらず。斯る具備あるによって病むこともなければ老ゆることもなく、生老病死の苦みはあらざるなり。肉体を有する彼等にして斯くの如し。されど彼等は人類なり。故に雌雄の区別ありて子を儲け国土の繁栄を計り居るなり。是等の道理は人類進化の法則より、科学的の説明することを得れどこの書には必要なければ省略す。依って諒せよ。くはしくは知りたければテッシンを頼みて新しく書物を編纂せよ。
 兎に角彼等の如き自由自在の人体をそなへ居るに不拘、未だ神としての取り扱ひは受け居らざるなり。一流界如く雌雄の区別なき人類に進むとも、未だ神の位置には到達なすことを得ざるなり。形を有せざる姿に移されて、真の自由のものに化せられずば、神の世界には置かれざるなり。是無言詞界の姿なり。無言詞界に移さるれば一時は形なき人類に変ぜらるれど、其は短かし。軈ては又姿を有するものに変化して再び他の界に置るるはことは云ふ迄もなし。されど再び人類に移さるるともその姿は諸子の如き肉体の比にあらず。九流界以上の人類に移さるることは前にも語りをきたれば諸子も合点なし居るならん。然して修業を重ね再び無言詞界に来り、又上界に移され又も無言詞界と云ふ如く、暫時無言詞界と他界とを往復なす間にすべてが整ひ、軈て無言詞上界に置るるに及んでここに初めて不変のものとなり、然して大霊界にに入るにあらざれば神の如何なるかを知ることあたはず、故に我等は神を語らざるなり。語りて詮なき事なるによって語らざるのみ。又語りて益なきことなり。されど兎に角神は遠近の区を定めず、あるものなりとの思ひを貯へ居らば其にてよし。なしと思ふもありと思ふも其は諸子の随意なれど、ありと思ひてその方向に足を向け居らば其にて可なり。一旦霊化したる人類は、なさんとせば如何なる事をもなし得る力を与へらるることのみは疑ふべからず。其疑ひの心起らば勝手気儘の行動をなすによって、危き方向に足を向くる憂あれば身心共に傷く恐れあり。故に慎まざるべからず。是は宗教的の説を語り居るにあらねば諒とせよ。宗教者の神変不可思議と云ふは斯る
意味にあらず。唯空なるものを実の如く知らしめて恐怖の念より迷はすこと多けれど、我の語るところは恐怖心を起さしめんがための説にあらず。事実を事実として空を論じ居るが故に宗教者との相違は相似て等しからずと知るべし。活眼を開きてすべてを見る力そなはらば如何に魔術を以てしても看破することはやすし。


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