覚者慈音208

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO160
 絶対とは如何なるものか          その3                                                    教主寛大 講述


 この事を語りしは汝等諸子の世界に於て時間空間を思はば、最早七年以前の事なりし。七年後の今に至って漸く是を知る。されど我等の世界より見れば唯一筆の運びにすぎざるなり。一筆の運びが最早七年を経過なし居るにてはあらざるか。是によっても時間空間数などに囚はるると囚はれざるとの事柄に対しても、何か其処に思ひあたる言葉の意味を脳裏に印象づけらるるならん。
 全宇宙はすべての備はりあるによって求れば得られずと云ふことなし。汝等諸子の望は何か求めて其物によって恩恵を受けんとなし居れど、求めざるが故に得られざるなり。求めんとせば全宇宙にはなしと云ふもの一つとしてあらざるなり。神はあます処なくすべてを作りあるによって汝等諸子が迷信とか妄信とか称し居れど、絶対界より見るならば一つとして迷信妄信はあらざるなり。なり難き事と思ふは諸子はなさざるが故なり。是をなしてもならざるが故になさんとするは迷信なり。無智なりとか考へて手をつけざるが故に得られず。されど求むれば得らるる事は神の力の広大なるが故になさんとせば如何なる事もなり、求めんとすれば得られじと云ふこともあらざるなり。我、斯く語らば諸子は云ふならん。木によって魚を求むることを得るやと。其等の考へは方向を誤つのみにて求むる処に至りて求むれば得らるるに不拘、求め難き処に求めんとなすは道を誤つが故なり。是を諸子は迷信妄信とか或は智慧なしとか称し居るのみ。覚れば斯る過誤を犯すものにあらず。木によって魚を求めずとも魚のあるべき処を択びて求むれば得らるるなり。是自然の法則なり。
 日々の行為に於ても諸子には是に類する誤ちを重ね居るなり。例へば一つの品物を探し求むるに納めし処忘れて、彼方此方と探し求め居るにてはあらざるか。是迷信妄信にはあらざるべし。己の心の油断より生じたるのみ。納めた処を思ひ出せば直に取り出すことを得るにてはあらざるか。入れ忘れたる所を思ひ出すと云ふは無言詞より受くるはたらきの力にして、是等も無言詞の一例に合ふと知るべし。汝等諸子ものを忘れし時暫く沈黙して考へ居らば思ひ出してやがて探りあつるに至る体験はあるならん。暫時の沈黙とは無言詞を聞きて、有言詞に化せしめる方法なり。無言詞を聞く力、我にはなしと思ふ勿れ。汝等諸子にはすべて是等の具備を与へられ居るなり。衆人の肉体に於ても全宇宙の備はりが悉く与へられ居るによって、其れより其へと順序を重ねて歩みを運ばば、大霊界迄到達することは当然のことにして敢へて不審するに足らざる道理あらん。迷ふと云ふは入れ忘れし品物を探し求むると同様の姿にして、納むべき所に納めをきて常にその準備をなし居らば、必要の時は直ちに是を取り出すを得るに不拘、諸子は其れをなさざるが故に彼是迷ふの過誤を繰り返し居るなり。心常に平かにして整頓なし居らばその時々の必要に迫らるるとも、動ずることはあらざる道理をさとりかばうなづく処あるならん。我等は諸子にむつかしき行をなせよと奨むるものにあらず。神より与へられたる自然のままに育ててあやまたずば迷ふことはあらざるなり。神を知ると知らざるとに不拘与へられたる心魂霊を、一体化せしめて常に心を平になし得る修業さへなし居らば、其れにて天より架せられたる使命を全うすることを得らるるのみにあらず。是ぞ自然に順応すると云ふなり。己に架せられたる職分とは是なり。其れを知らずして己勝手気儘に行動を他に変ずるが故に苦みは伴ふ。苦むが故に不善を企つ。然して一歩一歩冥道に陥りて遠く横道に迷ひ入りて、果は道を失ひ帰るべき所を知らず、餓死する愚をなすは憐むべき事にてはあらざるか。己にして己を知らず。斯る人は憐なり。汝等衆人斯る人あらば早く救ひやるべし。


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