覚者慈音1468  未知日記 第九巻   因果論  人身篇一    厳戒の辞の説明(重要事項の説明)   インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1468
未知日記 第九巻 因果論       
第二の巻
人身篇二 
        インショウ、ミキョウ貴尊講述    
                2019.9.30
第二十八    法力について

        厳戒の辞の説明(重要文章)


 此理より枝葉にわたりて観察し見よ。行者が様々の呪文を唱へ印を結び九字を切る等の法力はすでにその理を知るならん。所謂此願いの時は此印を結び、この呪文を称へ、又かの願いは此呪文をこの印をと、己の心の変りかたを呪文と印によって是を現はすにすぎざるなり。例へば彼の身の上に幸をあたへ給へと念ずる時は、その心を起し其に対する呪文を称へ又其に対する印を結ぶ。然すればその願ひは神に通ずるなりとの意味に他ならず。斯く考ふれば敢てむづかしきことを学せずとも、むづかしき呪文をとなへずとも、むずかしき印を結ばずとも、己が心を真にしてその願いの事柄に対して深く念ずれば、かかる数々の呪文など唱へずともその心は神に通じて神は是を許し給はん。修行とは即ち真の心を以て凡てに対して願いを正しくなす事によつて聞き入れらるることと知らば其にて法力は完全に行はるるなり。
 かの泰岳は何も知らずと云ひ居れど彼は直き心正しき心慈悲の心を貯え居るによつて神は是を知り給ふ故に、彼はなやめる者の枕辺に座したるのみにて彼は救はるる理も推して知ることを得ると我等は信ずるものなり。故に世人は信を厚ぅし念を深くしてその事にのみ専心これ努め居らば、学ばずとも法は神に通じて、神は汝の心をくみとりて凡ての事柄に対して其々の願いを聞き届け給ふはこれ当然なりとの考へを起して、唯々信念を養ふことに努力なし居るにすぎずと我等は注意なすものなり。かく語ることによって前巻自在論より三世と四世論の講義の中に説かれある法力の大切なることを深く考察し見るべし。 

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