覚者慈音1335 未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の三 上界の巻 セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1335
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 189
               セイキョウ貴尊 講述                     2019.8.19



 無始終霊子の作用が如何に完全無欠のものを作り出すかに思ひをはせよ。無始終霊子にかへれば全宇宙は広からず。手近き所にそのそなはりが及び居て、世人の肉体にも宿り居ると知るならば、これ又是に同化する力を養はば居ながらにして、其居に達すること疑ひなしと我等は語りきかすものなり。遠きを求むること勿れ。さとりは近きにあるなり。否汝の有する肉体にそのそなはりが授けられ居ることに早く覚醒よ。然して及ぶ限りの誇大妄想狂をはたらかせて、其がなし得られざるかを判断せば可ならん。今慈音が我に対して大相場師と罵(ののし)りたり。我は大投機師にあらず。世人の智慧にては想像もなし得ざることは、我等百も承知の上なり。されど魂界.魄界(五.四流界)の人類ともならば我の語ることは当然なることにて、誇大妄想狂にあらざることをさとり居る故なり。又事実に移して是を日々行ひ居ることを我等は知るによってなり。

 既に魂魄界(三流界)ともなれば魂界.魄界(五流界.四流界)とは異なり、なしてならずと云ふことなく、ならざる事あらば却って其を、不審する底の智慧そなはり居るなり。彼等はならざる事あらば其誤まてる所を究め尽して、然して後すべてを完成なし居るが故に、人智は及ばざるところなくはたらかせ居るなり。彼等は無始終霊子をたくみに応用して、其によってすべてを実行にうつし居るによって、如何なることをも意の如くなし得て、はては二流界にも進まんと計り居るなり。かかるところ迄理を究むるにあらざれば、神を知ることは難し。世人の神を信ずると云ふは、神を信ずるにあらずして、虚を信じ信ぜんと計り居るにすぎず。所謂虚を真実化(まこと)せんとして、種々様々の企をなす陰謀者の類に他ならず。その陰謀を世人は曲解して神を信ぜんとなすが故に、稍もすれば神を誤解して己を傷くること多し。嘘を真の如く考へて其を神として崇拝なすとも、何の顕著なる恵を受くることあらんや。即ち己の智慧及ばざれば、何かによってその解決を計らんとしてたづね求むるものを神と心得て、拝むとも何等得るところなきは当然なり。是を求めんとならば理より理を追究して其によって尺度をのばすにあらざれば、正しき教へを受くることは難し。実より実へと追究して求むるを正しき信仰と云ふなり。世人の信仰は虚より虚を求むる信仰にして其は空しき結果に終るは当然なるべし。神の道は正しきあらざれば、通ぜずと仰せられしは是なり。正しからざる信仰は所謂虚より虚を求むるに他ならずと知るべし。是をキュの法と云ふなり。

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