覚者慈音1306 未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の三 上界の巻 セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1306
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 160
更に八七六流界に到る迄
                 セイキョウ貴尊 講述
                    2019.8.14


 斯くして心を自由ならしむれば、心は必ずや父なる魂に対して救ひを求め来らん。この自由の心こそ肉体と魂をつなぐ力と化せらるるは、即ち魂の力あるによってなり。肉体を魂に任せ心は自由に活躍して、はじめて人道の何なるかを知るなり。然らずば年月を重ぬるとも、人道を知る事難し。人道を知らずして人に生れし甲斐もなく、又人とは何なるやすら知らざるべし。かかることにては人となりて何になる事ぞの、正しき明らめはなす事思ひもよらず。唯余儀なき明らめとなりて終るに過ぎず。余儀なき明らめは明らめにあらず。迷ひを残すのみなり。迷ふはいましめのなわめなるによってなり。早くいましめのなわめをほどきて、心に自由を与へよ。
 汝等の修養修行を見るに心に自由を与へずして、徒らに圧力を用いて押し込め居るによつて、執着はまぬがれざるなり。故に此圧力を用いずして心にのみ任せをかば、心は行かんとする方向に一路邁進して使命を全うす。心に自由を与へざるが故に、執着の迷ひをなして苦むなり。心の思ふ方向に放ちやりてこそ、心は傍目もふらず突進するなり。是を一心不乱と云ふ。

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