覚者慈音119 未知日記講義第一二巻  大霊界  巻の弐 未来観その五  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界    巻の弐                          NO75
      
    未来観 その五
                                                                               教主寛大 講述


 昭和二十六年四月十四日のこだま会に於て、泰岳が語りし銘香の談話を諸子は如何に聞きしか。こだま会の会員ならぬ汝等衆人にこの言葉の大要を語りをくべし。銘香は火よって煙をおこし、其煙より衆人の鼻に伝はる。されど或者は銘香の威徳を喜び、或者は悲しみの具に供せらるるとして是を厭ふ。是即ち善悪二種の感じなり。されど銘香の威徳は悲しむと悲しまざるとに不拘、その威力を発揮してすべての心を柔らげるはたらきをなし居るなり。故に我は銘香を喜ぶ。銘香の徳によって心魂を洗ひ浄め、然して明朗の人とならんことを願ふが故に、我は香の匂を好むと泰岳が語りしなり。此神秘なる言葉を聞きて諸子は唯然あるかとのみにて、何等得る所なければ、泰岳は苦笑するの他なかるべし。
 点火の明滅は恰も太陽の影日向の如し。根底より失はれたるにあらず。銘香の匂も亦是に類したる関係あるなり。人心に於ても亦然り。霊魂は肉体に置かるると、離るるとに不拘亡びるものにあらず。無始終霊子はすべての物を造り出す原素なるが故に、尽る事なく総てを組織もし、又破壊もなす力のはたらきに過ぎざるなり。大霊界とは数多の経路を経て、一旦その原素に立ち返り、更に又新しき方向に転換する場所とも見て差支なからん。汝等衆人が人間となりたるも、昔に逆上れば大霊界より生れて、次第に変化して現はれたるものなれば未来は又も大霊界に帰るは順序なり。然るにその順序を経過せずして他の方向に移動するが故に、もとに復することを得ずして、彼方此方と迷ひを重ね帰るべき所を失するなり。我より出でたるものは我に帰り、彼に出でたるものは彼に帰る。斯ることを繰り返へし居りては真の根源に立ちかへること不可能なり。故に迷ふなり。我、斯く語らば、諸子は奇異の感を抱くならん。即ち我は大霊界に出でて又も大霊界に帰るならば、我より出でて我にかへると云ふ事は、大霊界より出でて大霊界にかへるにてはあらざるかと。理論は其れに相違なし。されど事実には相違あるなり。我に出でて我にかへると思ふ諸子の考へは、己が肉体に囚はれ居るが故に、恰も網の目を廻転するが如く、同じ場所をさまよひ居るのみにて其以上ぬけ出づることを得ず。幾回となく廻り居るが故に、我の範囲は狭くなりて、肉体より肉体と同じ場所を繰り返すのみなれば、大霊に帰ることを得ずして唯もがき苦み居るにすぎざるなり。我と彼との区別なき根底の我を知るにあらざれば、未来の我を知ることを得ず。故に彼我の区別なき無始終界の極妙を究めて、然して是に順ずるにあらざれば迷ひのみ深くなりて帰途をあやまる。よって我等は肉体は考へずして霊魂に重点をおけよと教へ居るなり。一粒の米は汝の肉体にして、その米を幾回となく田に下し居りては肉体より肉体へと回転するのみ。米は食せられてはじめて米としての任務を全うす。是と同様の関係ありとして、諸子は肉体にのみ囚はれず、肉体のある間に霊魂の一大事をさとりなば、われと彼との区別は変化して真の我に化せらるるなり。我の諭しは曖昧の言葉の如く感じらるるならん。されどこの言葉をよくよく翫味せよ。然して正しき素直なる心とならば、魂は充分に吸収して発育すること疑ひなきなり。霊魂は無始終霊子の威力をうけてすべてを知り、すべてを育つるはたらきをなすが故に、魂はその霊子の養分を吸収する能力を有す。一旦霊子に化せらるれば次第に養育されて、魂としての任務に順ずる力備はりあるが故に滅することなく更に進んで組織へ組織へと、新しき方向に延び行く具備を有すると知らば可ならん。
 諸子は肉体は肉体、心は心、魂は魂として区別して考ふるが故に、心は迷ひ肉体は迷ひ魂は迷ふなり。是を一体化してすべては無始終霊子の働きによって作られたるものなりとして、考察するならば自ずと解決は得らるるなり。然してこの三つのものを一体化せしめて、その一体化せしめたるものより、更に考へを進めなばここにはじめて全きさとりを得らるるなり。汝等諸子の世界は三満一欠なるが故に、身心魂の働きに囚はれ居りては、一つの欠陥を結ぶことあたはず。故に同じ場所を幾回となく廻るのみにてその処を抜け出づる方向をさとりなば、その所よりぬけ出でなば、其にて四満の所に達することを得るの理は発見さるるならん。よくよく工夫せよ。
 我等は宗教者にあらねば唯道を教へるのみ。汝等諸子の世界は三満一欠なるが故に迷ふの他なからん。四満の世界とは如何なる所なるかとよくよく思惟せよ。あやまちたる欠路を求めて逆行する勿れ。今慈音は我の説に対してむづかしき事を仰せらるるものかなと吐息を洩らし居れり。然り。我はむつかしきことと知りて語り居るなり。是は真に一大事なるが故に、かくもむづかしき 導きをなし居るなれば、迂闊に聞きのがさぬやう注意なしをくべし。汝等諸子の過去は大霊界より順次育てられたるものなるが故に、大霊界に帰らば其れにて一回転なしたるなり。されば過去と云ふは大霊界にして、未来と云ふも亦大霊界なり。是にて未来観の説明は終りたり。故に是よりは項をかへて導きをなさん。

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