覚者慈音1094 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の九 大悟録 下 第四章 センの門 厳戒の辞のこと テツシン貴尊講義

覚者慈音1094
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第四章 セ ン の門
厳戒の辞のこと

                 テツシン貴尊 講述
                   2019.6.24


 余事は別としてセンの門を人心に適用せば即ち従来心につもりたるすべての塵埃を清除して、一切を清めたる姿となし更に新しき春を迎へんとなすに等し。謂わゆる年末の如く一年の棚下しをなして新しき正月を迎ふと思はば可ならん。汝等はセンの門を許容されたるによりて、人心は洗はれ浄められて是より神心を移さるるなり。所謂人智を捨て明日よりは神智となる今宵は、即ち汝等の大晦日なり。是を一歩進むれば人間の一生を捨ていよいよ神界に入ることを許されたる故に、汝等の肉体は人形の如く残りあるにすぎず。精神は生れかはる前夜なりと心得べし。新しき魂否新しき神智は教主によって求むるを得べし。
 さて厳戒の辞を汝等に知らしめんとして我等文字に関してチは智慧の智、シュは修身のの修、キュは救、ジョウは浄、ギョウは業、コウは公、フクは福、センは選を適用なさんと思ひて教主に伺ひしに、教主曰く、此文字を用いなば将来迷信を惹起するにより、是は言葉として教へをくべしと申されたり。所謂全宇宙の事柄をわづかの八ッの声に化せしめたるなれば、是を文字に現はすは至難なり。汝等の世界には易学と称する八個の数に分けて、すべてを処理せんとして迷信を併発なし居るを教主は知り給ふによりて戒しめ給ひしならん。されば我、教主の命に従ひ文字を用いるを止むべし。更に今一言加ふる事あり。其はフク、センと云へる語についてなり。我、是を教主に伺ひしに其語は下界のものには適すべし。されど悟したるものにはフクをフア、センをフンと改めよと仰せられたればここに附言す。

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