覚者慈音1093 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の九 大悟録 下 第四章 センの門 或る彫刻師のはなし  テツシン貴尊講義

覚者慈音1093
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第四章 セ ン の門
例話 ある彫刻師のはなし


                 テツシン貴尊 講述
                   2019.6.24


 若し彼の心に錯覚を与へたらば彼の彫刻は完全ならざりしならん。然るに神の恵は彼をして完全なる資料を与へしなり。希望尽きたる彼の心理状態は全く変化して人間性を度脱して涅槃の境涯に入りたるなり。既に希望を失ひたる彼には名誉も財宝も心にあらず。唯せめては彫刻師としての最後の別れに刀を振ひしも、其は一種の趣味にすぎざれば彼の個性は遺憾なく発揮して完全なる仏の魂がその像に出現したるなり。斯る事は決して迷信にあらず。又奇蹟にもあらず。純然たる道理にて疑ひをさしはさむに足らざるなり。是等はセンの理に合ふと知るべし。されど是にて完全なる仏とは称し難し。即ちセンの門に移されたるのみなれば、是より仏としてのはたらき仏としての任務をなさざればセンの徳は得られざるなり。汝等是等の事柄を深く考慮し見よ。其彫刻師が仏を刻まず他の作物のみを彫刻なし居たらば生涯は名人上手としてもてはやさるるのみ、平凡なる一生を送るに過ぎざりしならん。仏を彫刻したればこそ彼は大悟を得て、生死の苦をまぬがれたるなり。是仏の恩恵なるべし。彼は知らず知らずのうちに正しき信仰を得たればなり。ここに今一つの一大事あり。そは彫刻師をして大悟せしめたるはあづかって僧にありしなり。彼若し凡僧なりしならば彼の大悟は得られざりしならん。されば汝等にして指導者を択ばずば悟する事は難かるべし。
 我等は汝等の語るを聞けば曰く、我には父母あり、妻あり子ありて日常生活に奔走なし居りて修養の暇とてなく、如何にかして時を求むるも暇なきを憂ぅと、さもまことしやかに語るを聞きては愕然たるを禁ずる能はざるなり。汝等日常生活と修養とを切りはなして考へ居るによりて斯る愚説を口外するならん。日常生活なせばこそ、其に対して修養を要するなり。商人は商品に重点をおかず。労働者は労務に意を用いず。金銭にのみ重きををくによって不正行為を犯すに至る。是修養の至らざるによるなり。たとえ世帯ざかりの人と雖もその世帯こそは悉く修養なりと心得て学すべし。

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