覚者慈音950  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の五  五味調和と大智順歩について  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音950
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
五味調和と大智順歩について





                セイキョウ貴尊 講述
                2019.4.23
                   221番


 今円海老が饒舌鳥について語れる処の話を、我は面白く又汝等が悟道の参考として実に有益なりと思ひて聞きたり。円海老の語りし処をよく咀嚼翫味し見よ。汝等は口にこそ名論を称へこそすれ実行の伴はざることを、まことしやかに語りて得々たるは是多弁鳥に他ならず。もとより空想空論より出づる真実あればこそ敢て是を意義なしとは思はざるなり。されど常に空論のみたくましくして空しく時間を空費して、働く人の妨害をなすは言語に絶せん。汝等はこの饒舌鳥の如く安居して働くを厭ひ、人の恵に報いんとせず人を欺き世を欺きて森を亡ぼさんとなすか。或はすべてを養育して隆盛なる世界を組織せんことに努力せんことを望まざるか。
 円海老の語る如く婦人は学識をたかめ有為の人材を社会にをくるべき重大責任あるに不拘、唯社会学のみ研究して政治に関与せんと望まば二重三重の苦は増すのみ。即ち二兎を追ふ者は一兎を得ずの結果とならん。さりながら有為の人材を教育なさんとせば、政治、経済、社会学等々万般にわたる智識はもとより修めざるべからず。是は論議を討はす迄もなく、当然婦人の修得しをくべき要訣なるべし。是を己が手にて改革を計らんため饒舌鳥の群れに投ずるを止めよと円海は教へたり。我も同感なり。我児は重き荷物をかつぎて働き母は議場に卓をたたきて空論を説かば何の面目なるか。我児に政治を執らせ婦人は家を整へ居るも、そは人の称賛を受くれ決して物嗤ひとはならざるべし。分に応じ分に従ひて天職を全うなしてこそ人の人たる道なることは屡々説きたり。其は別として我五味の論説に於て饒舌鳥の道話を用いしは因より各講にわたりて広く応用せらるれども我の目的は。集団的にあらずして個人々々の身心について悟せしめんとの信念なりき。
 今此道話を個人の身心について考慮し見よ。森の木の芽、木の実を喰ひあらすしゃべり鳥は、汝が肉体の何に相当なすや。汝等心つかざるか。汝等が常に使用する比喩に、「心配は身を刻るかんな」と言ふ言葉を用い居るにてはあらざるか。此心配とは即ち何もせず饒舌のみにて肉体の森の木の実を喰ふのみなる鳥にてはあらざるか。然して訳もなきことを重大の如く思はしめて不安を与へて迷はしめ、他人をも困らしむるにてはあらざるか。他人とは肉体の各種の神経より五臓六腑に障碍を及ぼすに匹敵す。然して肉体の森の木も次第に枯らされて或は白髪となり、或は骨は曲り行くを促進せしむるは此鳥の悪戯なるべし。此心配と名づくる悪戯者の饒舌鳥こそ厄介者なるべし。されば早く此心配と云ふ多弁鳥を追ひ出さざれば森は亡ぶべし。此心配を除かんとして人は苦むなり。種々様々の労苦して撲滅を計れど彼は巧みに鋭鋒を避けて影をひそめ、或時は木の枝に或時は谷間に隠れて防禦策を構じ、容易に人を近づけず始末に困るものなり。されば人は此心配心痛の悩みありては、五味の調和を計ることは困難なれば心に油断なく、心配の鳥の卵を孵化せしめざる用心肝要なり。心配は原因なくしては生ずるものにあらず。故に此原因を造らざる工夫と注意は、勿論孵化せざる間に処理する方策を構ぜざるべからず。もし孵化したらば多弁鳥にならぬ雛の間に処分して、是を養育せざる用心こそ大切なるべきなり。汝等の中には戦時中心配と云ふ多弁鳥に悩まされて不安と焦燥に悩まされて意気消沈し、肉体は疲労困憊ししゃべり鳥に欺かれて家を失ひて生命を失ひしもの数を知らず。終戦後に至っては食の不安、衣の不安に悩まされて尽る処なかるべし。かくの如くにては五味の調和は計り難し。其のみならず甚だしき心配家は夜は盗人を、或は地震をと計り難きこと迄も心配の中に取り入れて戦々恐々たり。是即ち五味調和せざるによる。五味調和なしたらば斯る心配は少しも巣をかくる能はざるなり。

×

非ログインユーザーとして返信する