覚者慈音791  光明論上巻 巻の一  69番   テツシン貴尊講義

覚者慈音791
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の二     
          
                         
                  テッシン貴尊講述
                  2019.1.22
                  第69番


 汝等は唯訳も無く生かさるるままに生きて何等なす処なく、肉体を棄てて魂屑として捨てられるならば生れし甲斐もなかるべし。我は仏教者の如く後生を願へよと勧むるにあらず。肉体を有する間に霊界を知り其様を分明と知りをかんことを教ゆるのみ。汝等は己の欲する方向を択ぶは汝等の自由なり。
 古来より今に至るも死者より音信あらざるにより滅後は汝等には知る由もなかりしなり。然るを汝等は霊界に入門して教へを受くる身となりし喜びを感謝せざるべからず。億兆の書を読みても正しき霊界を認識するは難し。然らば迷ふは当然なり。教主の暗黒界に投ぜらるると申されしは汝等生存中の迷ひを仰せられたることも資料の中に取り入れざるべからず。学者は学に迷ひ、智者は智慧に迷ふ。是即ち心の暗黒なり。すべて迷はざるは光あるに依てなり。鏡に耳眼口鼻ありと仰せられたるは、汝等の魂に或は肉体にあるを説かれたるなり。汝等の耳眼口鼻は不完全にして正しきを聞かず、見ず、正しき味匂を嗅はざるよりて、総てを明らむる能はざるを申されたるなり。わけて魂の耳目は開かれねば見るなし。さればこそ物の理を教へ聞かさるるもさとるを得ず、光明に照らさるれど浴する能はざれば見る事を得ずしてさ迷ふなり。此鏡の耳眼口鼻の如く明らかに見聞翫味するを得ざれば魂はありて無きが如し。ありてなきが如き魂は即ち魂屑として捨てらるるは勿論なるべし。汝等は起きて居て眠り居るに等しく生涯うなされて宙に迷ひ居るなり。早くめざめて魂の眼をあけ魂の耳を開らき魂の口に美味を与へよ。あのかぐわしき香をかぎなば食欲は旺盛となり、血行は溌剌と循環を良くして健康は益々加はらん。
 汝等の魂にも此鏡を有すと仰せられたる以上汝等に於ても一考せざるべからず。人間は無智蒙昧にして弱き者なりと云ふ観念をさらりと捨てて、磨くべき鏡の智慧を磨けば赫々たる光明の霊気は輝き充たされるとの新しき観念をしっかと胸に抱きて奮起せざるべからず。無智無能として迂闊にも魂屑と化せしむる危き処を、教主の教へによりて救はれたり。鉄屑として錆しむるか、明鏡に鍛へ上げるかの境に在り。宜しく考へを廻らすべし。
 第一の鏡を今一段磨けば第二の鏡に変化するなり。然するは容易なるべし。既に汝等には第一の鏡は磨かれたり。第二の鏡になすは易かるべし。磨き上げたる鏡の魂とならばすべて世の中の有様は始中終、(はじめなかおはり)明白に映し来て迷ひ迷はさるる心配は一毫(いちごう)もあることなければ、安堵して楽しき生活は得らるべし。

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