覚者慈音790  光明論上巻 巻の一  68番  テツシン貴尊講義

覚者慈音790
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の二     
        
                         
                  テッシン貴尊講述
                  2019.1.22
                  第68番


教主出座、礼拝低頭


「汝等は今鏡に映りし汝等の醜さを何と感じたるか。霊界に学ぶ汝等は幸福なり。若し汝等にして此門に学ぶを許されずば何としてか正しき人道を知らずして、暗黒界に投ぜらるべき運命に置かれたるならん。人界はせまし。霊界は広し。一歩を誤つ時ははてしなく迷ふならん。心して道を歩むべし。汝等億兆の書籍を積みたりとて此一個の鏡に及ばざること遙かに遠し。此鏡は智慧ある如く魂ある如く生きたるが如く打てば響き問へば即座に答ふ。眼あり耳あり鼻あり口あり智慧あるが故に、汝等の智識にて此鏡を如何ともなし難からん。然りとせば汝等の智慧も一個の鏡に及ばざるなり。汝等磨きに磨きて此鏡と同様の智識を得よ。即ち汝等が魂には此鏡と同様の組織を有しある事を悟りて修行すべし」


 教主の仰せられし言葉を汝等は表面のみ聴きて唯斯くあるならんかと思ひなばあやまりなるべし。修行は此言葉をよくよく咀嚼せざれば修行はなり難し。此言葉の意味を深く彼是と考へて真を握らんと計るは修行なる事に思ひを致して努力し以て体得せば道は明白となるなり。鏡に写されて正邪の区を見たる時、正の姿は透明に清く輝き醜き汝等の心は混濁して清からざるを見たる汝等の思ひは早く清らかにならんことを願ひしならん。是のみにても汝等は霊界に入るを許されたる喜悦を感じたるなるべし。其のみならず霊界に入門なしたればこそ暗黒の世界を見たり、知りたるなり。もし汝等是を知らずして修行をなさずば魂屑として恰も埃溜めに等しき場所に投ぜられて長時の苦を受くるは戦慄すべき悲哀ならずや。暗黒界を見たる汝等には斯る処に行くを好むものあらんや。又霊界に学ぶ者魂屑とはならざるべし。さりながら霊界は極めて広し。若し一歩道をあやまたば求め望む処に達する能はずして無限の苦界さ迷ひ歩まん。汝等うかうかと事を聞き流させなば道は不明となる恐れあるを誡められたり。汝等にして億兆の書籍を読み重ねたりとも心の養ひとならざれば、その書籍を読みたる時間も空しく其は字引の学問にすぎざるならん。第二の鏡は億兆の書籍に勝ることは遙かに広大なり。此鏡の徳によりて映し出さるる汝等は感謝の威徳も亦広大の恩恵に浴するを得るなり。第二の鏡は生きて働き食物をとらず、報酬を求めず貴賎貧富老若男女を問はず映して、偏頗の処置をなさず。好むもの厭ふものの区別あることなければ聖人君子を恐れず、神に向へば神のままに従ふて順応す。まことに調法なる宝なり。

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