覚者慈音787  光明論上巻 巻の一  65番  テツシン貴尊講義

覚者慈音787
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の二     
          
                         
                  テッシン貴尊講述
                  2019.1.20
                  第65番



 教主、曰く



 「霊と霊とは相通ずるを以て双方の往来自由なれども気、伴はずば要を弁ぜず。気のみなれば相方の往来はなし難し。霊光は気を共にす。是初学者の要訣にしてあやまてば通ぜざるなり」



 感応論に於て放心法と云へる理論を説きたれども放霊の法と云ふは無かりしならん。霊は潜在してかくれ居るとの論旨についての説明も汝等には会得しある筈なり。霊と霊は波長を合して気を整ふれば相互より往来自由にして遠近を要せず、遠近を問はず相語り合い助くるを得るにて喚べば来り帰れば帰り、自由自在に欲するままに行動をなす力と働きを有す。是を働かす方法には先づ霊を送りて和して後気を感ぜしめて其より要件を送るなり。斯る事は簡単なれども是をなすに至る迄の修行は中々の行にてはなし難し。然るに近頃科学の研究とか云ひて行ひ居る不逞の輩あるは嗤ふべき種仕掛あるなり。斯る事を信ずるは愚なり。
 気も亦通ずる力あるによりて感ずれども、其感応は浮薄にして唯迷はすのみにて適確に解決を与ふるを得ざるなり。唯彼我の間に思ひを通はすのみ。思ひは気にして是を判然と運ばすは霊なり。光なり。霊光完全に備はれば思ひは其儘に彼我相互膝を交へて語るに等し。霊界に業を学ばんとする者は常に心の安定を計りて分別を速かなしめずば気にのみ囚はれて業は遅鈍となること多し。例へば此事をなさんと思はば速に是を処理して気にかからぬようになしをく底の修行をなしてなるべく気にとめぬよう胆力を養成し無頓着ならしめて霊にくもりを与へずば魂魄の動揺せざるによりて鏡は明瞭となり、些細の事も明らかに知ることを得るなり。知ることを得、感受するを得ば霊光は忽ち処理す。

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