覚者慈音782  光明論上巻 巻の一 60番 無智者に真の信を与へて共に携へて昇天の喜悦を得せしめよ テツシン貴尊講義

覚者慈音782
未知日記 第六巻 光明論      
上巻 光明論 巻の二     
         
                         
                  テッシン貴尊講述
                  2019.1.15
                  第60番


 教主、曰く


 「無智者の信仰は迷ひありて危く、智ありて信を厚くするは迷ひなければ智識は求むべし。其智識は神より与へらるればなり。然して無智者に真の信を与へて共に携へて昇天の喜悦を得せしめよ」



 無智の人の正直より迷信正信の鑑別する能力を有せずして、甲も信じ乙も信ずるに依て却って誤解に陥りて身をあやまる事は世間往々に見らる。されば此正直信者を己が喰物にして腹を充たす不逞の輩横行するを、教主はいたく心にかけさせ給ひあるなり。智識あり分別ある者は容易に信ををかざれば誤信は無智者に比して少なし。さりながら有識者中にも稍々もすれば迷信に陥る人も少なからずあるも不思議なり。是等は半有識とも云ふべきか。案外科学者哲学者に迷信者あるには一驚を喫せざる得ざるなり。斯ることのあるに依て無智者は益々迷信妄信を避け難きなり。故に正信と迷信の区別を明らかに覚り得る信仰ならざるべからず。益なき信仰に一日費せば千日の禍とならん。真の信仰を一日行はば千日の幸を得らるるなり。智識具はれるものは早く真を信じて無智者を誘導して高き徳を無智者の為に得さすべし。物質文明は何時かは亡びん。霊光は万代不易亡ぶることあらじ。汝等は伝統的習慣より東洋思想とか西洋文明とかに囚はれありて、人類の道を解せざるは不憫なることなり。東洋思想は小児の魔術か手品にすぎず。西洋思想は小児の玩具するに過ぎざるなり。汝等今一歩高く登りて大なる霊界に眼を注げ。我等の汝等に教へんとなしつつあるは斯る小さき小児だましの事柄にあらず。汝等小さき地球の隅に在りて余りに小さき頭にて我等の説を聞くならばそは大なる喰い違ひとならん。又文体あまり平易になしたるため識者間に於て軽視軽読する結果斯る観念を抱かしめたりとせば由々しき大事なり。初心者のために斯る平易の文体を用いしも真の人類学の手ほどきにすぎず。汝等にしていささかにても道を体得したらば分に応じて文体にも向上の挙に移し行くは順序なる事と知るべし。今後文体が改まり行けば汝等の修養は向上し来りしと考へて修行に修行を重ねなば可なり。論旨はいささか枝葉に走れり。元に復すべし。智者は惑はざる底の覚悟を得ざれば真の人間ならず。迷うは智者にあらず。居ながら宇宙の真相を把握し、居ながら人類の三世を明らめ終始一貫以て天地の大業を感受するの権威を堅持して初めて人類の道、即ち神の道を開拓なし得る指導者となれよと勧むるのみ。

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