「この未知日記の書を読む為の心構え」  はじめてこのブログに眼を通された方に一筆申し上げます

 
 僕がブログをはじめて今日で丁度9ヶ月目。初めて ご覧になる方はこの本は一体何なんだと思われる方も沢山居られると思います。そこで全体の概略とその要旨を述べておきます。例えばgoogleで大霊界と検索しても出てくるのはあの丹波哲朗氏の大霊界のみ。
でも丹波さんが説かれる大霊界とは天国でも極楽でもなく、人間が死後、直ぐに移される浮住界といわれる世界のことであって、いわゆる迷いの世界です。世の中に流布されている大部の書籍はこの冥途の世界のことを語っています。決してそれらは天界でもなければ極楽でもないのです。しかし、この未知日記の書一連は今迄、誰も知り得なかった真実の神の世界を詳細に語っておられます。いうなれば明るき明途の世界を語っております。もう今後このような書籍は二度とこの世界には現れることはないでしょう。
前者と後者との隔たりは月とスッポン、いや、それ以上の懸隔があります。そのことをどうぞご承知おき下さい。

この書を書かれた方々は神の使い、真の天使です。主な執筆者は教主寛大、テツシン貴尊、セイキョウ貴尊、ミキョウ貴尊などが七年余の歳月を費やし、盲目の伊東慈音さんに書かせたものです。貴尊方はこの無限大ともいえるこの大宇宙の距離を端から端までの距離を一秒の何分の一かの時間で往復される力をもたれています。又この地球のような惑星すら瞬時に創造もされ、破壊もまた瞬時に行う、まるで神の化身ともいえる力をもたれています。でも貴尊方は私たちは神ではなく、人間の進化の階梯を歩んできたものだと言明されておられます。こんなことを冒頭に申しあげても誰も信じる人はないと思います。こんなことを語る一介の老爺を一種の誇大妄想者、或いは狂人とおもわれることでしょう。そんなことはどうでもいい。私のような貧しき言語、知性では到底、この未知日記の書の全貌を説明することなどできません。でもブログに転記してある、この書の一冊でもいい、それを読み切ったならば、また貴方は新たなる感想を抱かれることと思います。
 貴尊寛大は此の書を読むための注意点として、未知日記第一巻の自在論行法に於て教へられたる事柄を実行なし居らば、それにて目的は成就する。そして厳戒の辞をたえまなく称へるも理は一つなりと仰っておられます。その自在論行法のことについて別著にテッシン貴尊が次の様に述べられていますので参考にしてください。又此の書の最大眼目ともいうべき厳戒の辞のことに関しては3月31日の僕のブログに詳しく記載してありますから、それをお読み下さい。
 念のため是は宗教書ではありません。いままで宗教者によって説かれてきた誤った神への概念と霊的宇宙観を是正し、真実の神の姿を教える為の大哲学書であり、宇宙の真実を伝える天界の学問の書に他なりません。貴尊方は諸々の宗教団体が壮大な伽藍を建立したり、そこに偶像物を安置し、それを拝まし、信者からの賦課金なるものを徴収することを固く禁じておられます。そんなことよりも、各自が自分の心の中に社(やしろ)をもうけ、自分の持つ霊性の顕現を諮ることが真に急務であると教えています。その霊性の顕現を促進させる行法が下記に示す方法です。


テッシン貴尊曰く、


 「世の中に親の情けを知らぬ子程不憫なるはなし。汝等は真の親の情けと慈悲の温みを知らずして、今日迄無情の日を過ごし来たれたるは誠に不幸不憫なるものなりしが、今母の手に抱かるるに及びて漏らす笑顔なることに心づかば、汝の肉体に覚ゆる温味は真の温味にして、爽快の気分となりて今迄とはすべてに変わりたる生活は営まるべし。
他人に対する親切も利己を離れたる親切となり、汝に接するものはすべて汝に帰するに至らん。然る時、気光素の作用は益々その度を加へ、親の慈悲益々加わり病苦も減退して真の悟りをここに得る事を得ん。
笑顔と云うもゲラゲラ笑へと云うにあらず。是は肉体の笑ひなり。我の云ふ処は心の笑顔なりと知るべし。ミキョウが説きし垢離せよと云ひしはここなり。身に付着したる垢は心の笑顔なる布によりてぬぐひ去られ、一切の汚れは洗われて清浄とならば罪咎は消滅する。然る時は汝を責めさいなむものあらんや。百才の童子となりて一歩一歩神に近づく道を歩むべし。急ぎて転倒するなかれ。危ふければ抱きてすぎさせ給ふは汝の親なり。汝等は親に見えし事によりて、動物性をはなれ、真の人となれる時、初めて今迄知らざりし喜悦を身に沁みて感ずる事を得るなり。笑顔を見する事は常住坐臥忘れず行ふものなれども、更に今ひとつ行ふべきことあり。汝等三度の食事の時、食を作り与へられたるものに感謝の言葉を送るならん。然りとせば汝をはぐくみ育て給ふ親に対し、感謝の礼を献げざるべからず。徒に親の情けに馴れて甘んじて礼を欠くは宜しからず。故に日々三時に感謝の礼を厳かに行ふべし。これ第三の行なり。手を合わさずともよし。唯心を正し、礼拝せば可なり。三法一体なれば、気光素は働く。
第一、自問自答。第二、心の笑顔。第三、心の礼拝。是即ち三法なり。この方法が次第次第に行はるるによりて潜在する気光素は頭を持ち上げ初むなり。三法断間なく行はれて身心魂の三つの力は一体となるによって真の信仰は得られるなり。真の信仰に迷ひなし。迷ひなければ正しき道は得らるべし。斯くて神の力加はること明白なり。汝等屈せず、たゆまず他に心を移さず行ふべし。この方法を軽んじ娯楽の気分にて行はば得るところ無きは勿論なり。親に問ふは迷ひを晴らさんための教えを求むるなり。心の笑ひは教へを得たる悦びなり。礼拝は教へによって救われたる感謝なり。何ぞ軽視する事やある。
我汝等に教へる処は決して不可能の事を示して机上の空論たらしむるにはあらず。深山幽谷に分け入りて難行苦行せよと勧むるににもあらず。日々の業務に専念するにも此の行力によって道は得られる事を教へたるなり。即ち政治家は政治を農夫は農業を商家は商業を工業家は工業を皆それぞれ持てる分野に於いて、己の親について教へを受けよとはミキョウは既に汝等に教へたる如く、我もこの事は双手を挙げて賛意を表して勧むるものなり。
第二の法に於いて常に心の笑顔をもてと云ふに対して、汝等は四十六時中、斯ることをなし得じと思ふは誤りなり。なし得ざるは汝の心は既に肉体に向けおられ居ると考えて、力めて方向転換を計るべし。常に喜びの心みなぎらば、汝に接する人々皆化せられて親しみを深くせん。即ち思ひ内にあれば色、外にあらはるる故なり。
次に第三の法について有り難し、忝なし、勿体なしと云ふ心の表現によって、真の慈悲は養はれて汝に来る者悉く汝を慕ひ来る事、火を賭くるより明白なり。来る者は共に手を携へて道につかしむべし。去る者は追ふべからず。其は道を惑わし穢すものなればなり。この第三法は苦しくともたゆまず行ふべし。
此第三法によりて現はるる気光素の力の如何に顕著なるかは我は語らじ。汝等此のすべての法を行ひて体得せば、明白に知る事を得るにより楽しみて行ふべし。
更に今ひとつの一大事は死生のコンマを外せよの項に於いて説きたる法なり。その方法は重大なれば、朝夕はもとより四六時中、覚悟せざるべからず。故にこの法を加へれば三法一法即ち四線の法則は完全となり、更に二性の理論はここに成立し、従って神通力は通ひて不変不動の境涯に達する事を得る。次の篇は行法秘伝にして一般に公開することを得ざるなり。何故ともなれば此法を公開にせば、濫用せられて悪用を見ば、害多くして益少なければなり。
我慈音に告ぐ、秘伝を受ける時は先づ一法を受くるにあたり、身を清め心を正しく、且つ教へられし法を自ら行ひて、法をなし得る迄は次の法を学ぶべからず。是汝に与ゆる注意なり。
チ。シュ-。キュ。ジョ。ギョ。コゥ。フク。セン。」


補足


死生のコンマを外す法     テッシン貴尊


「我、今日死せよ仰せあらば潔く死すべし。死するも決して悔いることあらず。」
との意味を述べよ。是は即ち昨夕安らかに眠りし悦びを感謝し、今日何時死を賜ふとも悲しみなく、未練もなく喜びて逝く事を誓い、夜眠る時にも同じく床の上に座して、今日家業を営みし喜びを謝し、更に眠れる間に死を賜ふとも尚喜びて逝かんことを申すなり。
人間最大の悩みは生死なり。故に我、特に汝等に生死の点を外せと求めたるなり。人は生死を超脱して初めて動物性より真の人間性に入ることを得るにて、生死に拘泥しては到底人間性に進むことを得ず。生死を越えて初めて人間性に進むことを得るなり。故に生死を明らめると云うことは生死を融和さすことにして、即ち点を消滅して差なきに至らしむる方法にして、朝夕油断なく今迄説きし行ひをなし居らば、点は自ずと消えて生もなく死もなき境地に達することは明白なり。我、誓って是を保証す。
生死完全に和すれば真に自由自在に物事は正しく行はれ、ここに至らば悪魔も犯すあたはざるなり。法と云えば今習いて直ちに行はば忽ち効果あらはるるは神の法の如く思ふが故に、習いて容易くなしあたはざれば、他に法を求むる故、悪魔は是を知りて遂に其人を犯すものなり。注意すべきことにこそ。


第一、自問自答。第二、心の笑顔。第三、心の礼拝。是即ち三法と厳戒の辞を称える事を遵守すればあなたは間違いなく死後天界へ誘われます。以上のことは未知日記の第一巻に述べられていることです。いわば未知日記を読むための心構えが説かれている入門書と呼ばれるものです。これに続く書が第二巻から最終、大霊界の書まで全部で一二冊あります。
折角、この人の世に生を享け、それらを知らずして死んでゆくのは誠に勿体ない話です。どうぞ、ゆつくり、ゆっくりと噛みしめながら読み進めて頂きたいと思います。釈迦キリストなどの聖者すらも極め得られなかった天界の様を知ることが出来るようになるでしょう。これらの書を読む事によって、世上に溢れかえっている教えを悉く超脱していることを貴方は知ることになると思います。

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