覚者慈音551   三世と四世論  人智より神智へ  セイキョウ貴尊講義

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の103
  第十一      確定信仰と不確定信仰    其の3                                                                    リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 蟻の動作を見て人はその心を知るならば神は人の動作によってすべて人の思いを知る事を得るは即ち神智の力すぐれたる故ならずや。故に神と云うものありとせば汝等はすべての行為を慎みて行動せぱたのまずとも神は守護するならん。益鳥は人間によって保護せらるる如く、人間も神によって保護せらるるは当然理なるべし。害鳥となりて撲滅せらるるを好むや。其は汝等の意志にまかせん。我等が語らんとする処は不確定信仰より確定信仰に入らしむれば其にて事足る。悟らざれば迷うなり。迷うが故に苦を厭い楽を願う。禍を幸と変ぜしめんがために汝等は神を信ぜんとして却って神を信ずるあたはず。迷いより迷いに入りはては浮ぶことあたはずして世を去らば更に霊魂は暗黒より暗黒へ陥り行くのみ。明より明に進むにはここに確定信仰に進まずば決して得らるるものにあらざることは聖者の教へに倣っても頷かるるならんと我等は信ず。神の眼より人間を見るはやすく、人間より神を知らんとするもそは余りに隔たり大きくして到底人智にては知る事を得ざるは当然なり。是を知らんとするも到底及ぶべき事にあらず。汝等空気の中の黴菌を肉眼にて見る事さへ不可能なるにまして広大無辺の神を智慧にて知らんとするも及ばざる事を悟りなば是を強いて求むるの必要もなかるべし。又知らずとも可なり。汝等肉眼にて空気の中の黴菌を見ることを得るならば一日として安からぬ日を送り恐怖に囚はれて生存することすら不可能なるべし。見えざる処に安心ありて、ながらへ居るなり。然りとせば神を知らざるが故に却って安楽の日を送るなり。もし神を知り得たらば汝等は恐怖より恐怖に陥りて却って向上の道はたたるべし。人智が次第に向上して軈て神を知るべき処まで引き上げらるれば始めて人間に生れたる真実の喜びを味いて此処に永久不変の極楽は現出するなり。故に修養修行は人間一代にあらず、更に進んで人間界より他界へ其より其と順序を経て軈て神の下僕となる迄進まずば使命を全うすることあたはず。我等もこの境涯を重ねたる結果今は神の下僕とひき上げられたるなり。汝等も人間に迄つくり出だされたる以上、我等が教へる道によって歩みを進めば我等と同様の所にひき上げらるるは是神の法則なりと知りて屈せずたゆまず人間の道をよくよく守り更に進まば進みたる処にて其法則を守りてたゆまずば其にて使命は全うするなり。

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