覚者慈音542  三世と四世論   心の信仰と魂の信仰について  セイキョウ貴尊講義

               三世と四世論
           未知日記第八巻
           第三の巻
           未来の巻        其の94
  第八    心の信仰と魂の信仰について  其の1                         NO1                         
             リョウジャ.セイキョウ貴尊講述


 
 我等汝等にすすむるところは従来の信仰を一掃して白紙にかへり更に新しき信仰に入らんことを望むなり。従来汝等の信仰は身心の信仰となり魂の信仰との中間に立ちて両道に足をまたぐる姿なれば身心ともつかず、魂ともつかず、故に迷い多かりし。されば今よりよくよく反省して従来我等が説き来りたる事柄をよくよく考慮して身心の信仰より新しく道を求むるか、或は魂の信仰に直接歩みをすすむるかにあらざれば永久迷い多くして真の道にふみ入るは至難なるべし。
 神の道は余りに複雑なるが故に迷うも無理ならぬことなれど、教主の宣(のたま)はせし言葉の如く一法を修すれば万法に通ずるの教へなれば是に従いすべてを一路につきて他を択ばず、邁進する時は却って望みは達せらるべし。
 広き大海原にも定まりたる航路あり。空間に於ても亦定まりたる航路あるを見るに徴しても知らるる如く神の道にも一定の順路あることも亦うなづき知ることならん。されば身心の信仰に於ても是を徹底的に歩むならば最後は神の家に帰るならん。まして魂の信仰に於てをや。そは異論の余地なきことなり。
 人は弱わし。故に何かのことに対して逆境に陥れば其を免れんとして何かを求め、ならざればはじめて神を念ずるに至り其が救わるればはじめて信仰に入るは順序なるべし。己の智慧に依てすべてを処理する力あるものは神を信ずるに至らず。唯己の智慧を信ずるほかに他になにものをも求めざるは人間の条理なるべし。人の弱点を応用して神を恐れしめ、然して信仰に導くは宗教者の得意とするところ、人間の弱点に不拘有識無識の区別なくすべての人類を正しき信仰に導く力なくんば真の宗教者にはあらざるなり。然るに近来の宗教は文化の力進むに従い益々宗教をうとんじて神をおろそかになしてすべてを学識にまかするならば宗教は従って滅亡の他なく又神など顧る者すらなきに至るならん。汝等人智の如何にすぐるるともそはごく浅薄なるものにして神の眼より見るとき果して如何に思い給うかを考へしことすらあらざるならん。人智の進み行くは何処より如何にして現われ行くかを考えしことすら汝等にはあらざるならん。汝等の智慧は何によって増大なすや。又何によって増大せしむるやを思惟し見よ。
 見よ、汝等が従来学び来りたる精神科学の法則に従いて是を正しく認識することを得たるか。我等に云わしむれば是を疑問とするの他なきなり。精神科学の法則に従いて人智が増大するとならばその精神科学を説き来りたる人は如何なる証拠ありて是を公になせしか。帰するところは人なるべし。如何にこれを逆上って考うるとも人より人に伝わりたるにすぎず。即ち人の作りたるは推理力より表面化して表れたる結果にして神より相伝せられたるにはあらず。又神の世界より人類界に現われて指導したるにもあらざるべし。然りとせばすべては空想より生れたる結果に他ならずと云うも敢て過言にはあらざるなり。余事にわたりて申訳なし。本題に入ることとせん。

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