覚者慈音233 未知日記講義第一二巻  大霊界入門記  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO183
大霊界入門記   前編                 



第一 チッ、 再生門 (仮称)         その3
                      教主寛大講述


 ともあれ無言詞の行を終へて、チの門に入ることを得ば最早人間としての任務全く終りて、是より新しき人類の道に移されたるなり。既に此所に移さるるれば最早生老病死のなやみはあらざるが故に、従来の如く生活の心配もなく病ひの苦みもなく、老ゆることもなければ死ぬと云ふ愁ひもなし。我斯く語らば汝等は思ふならん。無言詞界とは蚕が繭の中にありて生活し、この殻を脱いで蛾に生れたる姿の如く聯想するならん。譬喩に於て見る時は斯くの如き関係あれど、是等は全く相似て異なるなり。繭の中破りて蛾となり然して多くの子孫を残して死す。されど再生門に入りたるものは是とは全く異なるなり。再生門に移されたるもの其後の任務とは如何なる生活をなし、又如何なる任務を架せられるやと云ふに、先にも語りし如く赤子として生れたるが故に、謂はば天界の赤子として母に相当する何ものかによって養育せらるるなり。我再生門と名づけ或は誕生門と仮称したるも、此事柄を世人に分り易くなさんがために語りたるなり。さりながら同じ赤子に於て汝等諸子の赤子とは全く異なるなり。母に相当する何ものかの導きが此赤子を養育す。所謂自然の母自然の教師に匹敵する力が是を育て居るなり。故に生れながらにして何事もよくわきまへて、父母教師に相当する自然の力を受け入れて育てられ行くなり。即ちこの界も無言詞にしてその無言詞の力が是を養育して、すべてを教へ導くが故に益々すべての力が増大して限りなく進み行く事は云ふ迄もなし。是を世人に分り易く認識せしむるには容易のことにあらねど、形の上に於て示めせば磨きあげられたる珠玉が、自然の力によって益々磨かれて光彩を放つ、力が増大すると同様の如く思ふ可ならん。兎に角生老病死のなやみあらざるが故に、生れ出でたる姿が永久に定まりて、変ずることなくそのままにて保たれ居ると思ふも可ならん。この界に入るものは最早形と云ふものに囚はるる必要もなく、ひいては肉体の如きものの必要もあらざれど、形なきかと云ふに然らず。形は個々に区分せられ居ることは云ふ迄もなし。形なき形を世人は聯想すとも認識することは難からん。この界に入りたるものは自由自在の自然の恵みに浴し居るが故に、動物に化せんとせば動物となり、人間たらんとせば人間ともなり、天使たらんとせば天使ともなり、黴菌たらんとせば黴菌ともなる故に、自由自在の境涯とはこの界を措いて他にはあらざるべし。この界に生れたるものその悉くがかかる自由自在の具備を与へられ居るなり。其は大自然と云ふ父母教師に相当するものの導きによって、育てられ行きつつあるが故なり。

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