覚者慈音1668  絶対界  第十一巻 巻の一 テツシン貴尊講述 2020.01.23

覚者慈音1668
絶対界  第十一巻
巻の一
テツシン貴尊講述
2020.01.25


 諸子の考ふる如く空を絶対と思はば是又あやまちなり。空には空の形あり。故に対照となるべきものなかるべからず。斯く考ふれば空も相対なり。何となれば諸子は肉眼を閉ぢて神眼を開らき見よ。種々様々の原子物子等々を発見して尽きるところなかるべし。斯る複雑微妙なる空間なるが故に、すべては生存なし居ることも知らるるならん。所謂複雑微妙なる空間なるが故に、すべては生存なし居ることも知らるるならん。所謂空間物質は尽きずしてはてしなし。さればこそ学者は種々様々の発見をこの中より求め居るにてはあらざるか。宇宙は神変不可思議にてきはまりなし。まして全宇宙に至っては云ふ迄もなかるべし。斯く語り来る時諸子は全宇宙には、絶対と云ふ言葉は成立せざるべしとの念を深くするならん。神は全宇宙より数々の宇宙を造りたるに対して、何の為に斯るものを作りしや知らんとならば、この理をよくよく究めざれば知ること難し。衆人が住める地球と雖もすべて無用のものとして置れしにはあらず。其中に存在する衆人悉くが皆必要ありて造られし理は、今後テツシンが語る説によって正しく悟ることを得ん。さればむづかしくとも此説をゆるゆる読みて汝自らがものとせよ。
 考へかたによっては相対も絶対となり、絶対と思ふことも又相対となること多し。されば何処より何処迄が相対にて、何処より何処迄が絶対かと云ふに対して、その区別を明らかならしむることを得ざるならん。例へば全宇宙を絶対として考ふる時、其中に包含せられたる凡てのものは、全宇宙より造り出だされたるものと見なすならば、その宇宙を全宇宙に帰せしむればその悉くが絶対と見なすも理窟にはあらざるべし。斯く考へ来る時全宇宙は絶対ならば、その中に抱含せられたるすべても絶対となる関係に置れたりと見なすことも得るならん。太陽には太陽としての本分あり。地球に於ても亦然り。太陽は太陽としての任務を果し居らば、其は太陽としての絶対とも見られ、地球に於ても亦同様の関係となる。即ち太陽も絶対なり。今是を太陽と地球との関係に於て見る時は、即ち相対として取り扱はれ居ることも区分すれば、絶対と絶対の両者のつながりが相対を産み出したりとの考へを起すならん。斯くも複雑なる全宇宙を一個のものにまとめて、絶対として観察することは極めて困難なるべし。是を人間界に於て考ふる時人体全部を絶対と見なすならば、内臓を抱含し居る皮膚のみが絶対にして、其中に包まれ居るすべてのものは皆相対の関係に置れあると見なすことも得ん。恰もいろいろのものを風呂敷にて包みたる時、其風呂敷を絶対のものとして考ふることも得るならん。はたして然あるか。斯る事柄より是を諸子の世界に於て国土を治むる方法を考へ見ば如何 !

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