覚者慈音1067 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の九 大悟録 下 第二章 コウの門  テツシン貴尊講義

覚者慈音1067
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第二章 コウ の門


             テツシン貴尊 講述
               2019.6.18


 汝等は百円の金には重きを感じ一厘の金には余りに重きを感ぜず。故に大なるものと、小なるものとの区分によって差別も極て深し。斯る事にては到底学理を究むるを得ざるなり。一億の金額に於て一厘足らずば数学上一億にはあらず。一厘たらずとて汝等は余りに心に止めざるは宜しからず。もし是が化学上一数誤算すれば理を究めながら事実に於て不成功に終るなり。此理を知らば微細のものも軽々しく見のがすこと勿れ。
 汝等此門を余りに漠然と見て驚愕なし居るのみならん。されば今一段心を安定せしめて子細に観察し見よ。ギョウの門とコウの門とが合併して神変不思議のはたらきをなし居れる有様はすべて此門のみに限らず、汝等が身心にも同様の設備を有しある事に心附かば、空しく見のがすことなく熱心にその変化し行く有様を深く深く心に止め、或は学理的に或は実在的に観察して以て大悟の域に到達すべし。
 ギョウの門及びコウの門は物の大小或は軽重なければ、働く力に於ても皆悉く一様にしてすべてに差別を与ふることなし。故に一個の微分子も亦無限大の物と雖も生存せしむるに何等依怙(えこ)の振舞あることなし。汝等の如く賤しき者を侮蔑し尊きを重んずる如き軽率はなさざるなり。故に全体は平等なれば居に安んじて生活を営み得るなり。事小なりと雖もゆるがせにすべからず。塵もつもれば山となるとは汝等が受けし教訓ならずや。コウの門に入りて若し汝等が心に過激なる考へを生ずればたちまち粉砕されん。我、此門に入るるに先だち様々の思ひを貯へる勿れと止めしも、斯る危険を恐れたればなり。元来此門は多くの危険を伴ふなれど、我等教主の力をたのみて或程度迄危険を免ぜられ居るによって、汝等は心配も無く見聞するを得るなり。教主に感謝の意を表すべし。
 さてギョウの門に集合したる四つの物より(チ、シュ、キュ、ジョウの四つ)、コウの門にて光体及び気体に大別せられたるものは、動物に対しては魂魄を造り与ふる原動力となり、植物にも亦二様の性を与ふるにてすべてに生を得せしめんがために分解して、其々必要に応ずる活躍をなしつつある姿なり。 

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