覚者慈音1066 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の九 大悟録 下 第二章 コウの門  テツシン貴尊講義

覚者慈音1066
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第二章 コウ の門


             テツシン貴尊 講述
               2019.6.18


 ギョウの門にては唯霧の中にある如く感ぜられしのみ。然してチ、シュ、キュ、ジョウの門に対しては前後左右或は上下に眼を配らざれば見ることを得ざりしに、此門にては斯る不便なく展望することを得るなり。先づ第一に心すべきはギョウの門の姿は中心にありて、コウの門は外方に放出なしつつある壮観なり。はてしなく外方に放散する光波気波色波が混同し居りて其波がここに二分されて、光波と気波に分れ居る形状は言語に尽し難き壮観と云はんよりは寧ろ物凄き感を抱かしむるならん。斯くして光波は熱度に関する一切を組織せんと計り、気波は冷度に関するすべてを作り出さんと計り居るなり。故に光波は最高温度迄上昇し、気波は最底冷度迄作りてすべてを活かすべき準備して、更に其二個より諸々の有形無形物を分解なしつつある有様なれば、汝等の眼に唯動じ居る様を見るに過ぎずして其何なるかを判別する能はざるべし。是より其大要を語りて汝等が修養修行に必要なる事に重点をおかんとす。故に心して聞くべし。
 前にも説きたる如く気波は冷を生ぜしめ、光波は熱を生ず。故に水は気波に属し、火は光波に属せしむることを得るなり。火と水は陰陽の関係を有し、又表裏の区に分つことを得との意味より、易学は火と水を陰陽として取り扱ひ居れども事実は気と光の区別なるべし。
 全宇宙或は宇宙の組織について詳細なる説明せんとせば、余りに学理的となりて理論に走り易き傾きありて、精神修養の道を失ふ結果となる恐れあるも亦止むを得ざるべし。さりとて理を究めずば修養をあやまり迷信を伴はば由々しき結果を招導せん。汝等はこの点に留意して研究せよ。我、突如斯る事を話したれば汝等はてぶかしく思ふならん。されどそは他ならず。汝等は余りに実在に留意して空間に無関心なるによって誤解多くして悟るを得ざるによりてなり。先にも説きたる如く肉体の食物には生命がけとなりて東奔西走なすにひきかへて心の食物は是を等閑に附し居るを見るは遺憾なるによって注意するなり。

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