覚者慈音975 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の七  四光の世界  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音975
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の七 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  下
四光の世界


                セイキョウ貴尊 講述
                   2019.5.12


 汝等には前後左右あるによって己を中心となす結果、過去現在未来の区別となる。己を現在とせば進は過去と未来が同時に成立す。左右に傾き傾くも同様なり。然して進まず、傾かずとも前後左右の関係ある以上三段論法は現出するは当然なるべし。背後は過去に属し前方は未来に属する関係となるによってなり。又前後の区あるによって左右は現出するも当然なり。四光の世界には斯ること更にあらざるなり。汝等は生命を中心となすによって生死の不安を生ず。四光の世界には生死なければ生命を中心となすの要なし。生命と云へる言葉は過去未来を伴ふ。滅せざる世界には終始なし。終始なければ過去未来なし。汝等是等の説明に対して汝等が思ふ三世論は肉体にあらずして、精神上にありしことに気づかざるか。肉体の構造が例えるいつもお世話になっております。如何なる境涯に置れたりとも精神の構造を変へざる以上三世論より脱却するを得ざるべし。又三宝界より四光界に進むには時間と空間を離すことも不可能ならん。汝等は此世に生をうけて身心共に変化し来るにより三段論法の理は成立したるなり。されど不老不死の世界に至らばここに初めて三段論は不用となる。此理は汝等にも会得せらるるならん。三宝の世界は狭隘にして怪我あやまちは免がるるを得ず。四光の世界は何処にかけ廻るとも自由自在にして怪我過失はあらず。例へば三角の台は倒れ易けれども四脚となれば平均して倒れ難きと同様なり。是を十脚二十脚となすとも結果は最小の四脚の理に帰するならん。故に四光の世界四宝の世界は安全なり。汝等不老不死の世界は果してありやとの疑問を生ずるならん。若しありとせばそは如何なる所か、我も行き度きものかなとの好奇心に充たさるべし。不老不死の妙薬を仙人に求めし君主もありしと我は聞きたり。不老不死の妙薬を求めて服用なすとも三宝の世界にては目的を達することあたはず。何となれば汝等の肉体は既に三宝の法則に縛ばられて離脱なすことを得ざればなり。

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